“聞こえない”壁を超える三刀流のサッカー選手 「私にとってデフサッカーは“帰る場所”」
聴覚に障害のある人たちのスポーツの祭典「デフリンピック」が、2025年に日本で開催されます。競技種目の一つ、音のないサッカーとも呼ばれる「デフサッカー」で代表入りをめざす18歳の選手がいます。
◆大学の女子サッカー部でプレーする18歳
日本経済大学1年の久住呂文華さん(18) 女子サッカー部に所属し、 生まれつき耳が聞こえないハンディを抱えながら耳が聞こえるチームメイトと一緒にプレーしています。ポジションはセンターバック。体を入れたディフェンスと相手の隙を突くスルーパスが持ち味です。
◆普段の生活では補聴器を着用
久住呂さんは普段、補聴器をつけています。相手の口の形を読み取る読唇術も習得していて、大学の講義は、音声認識アプリを活用して画面に映し出された文字を読んで理解します。
◆デフサッカーとの出会いは小学4年 「楽しさに気づいた」
サッカーを始めたのは3歳の時。父と兄の影響でした。そして小学4年生で聴覚障害者のサッカー「デフサッカー」に出会います。
久住呂文華さん
「デフサッカーの場合は自分と同じ立場の人がたくさんいて、その時に『耳が聞こえなくてもサッカーは楽しい』ということに気づきました」
◆コートでのコミュニケーションのとり方が違う
チームプレイでパスをつなぐサッカーは、コートの中でのコミュニケーションがとりわけ重要になります。デフサッカーでは、競技中補聴器を外すことが義務付けられていて、選手たちは、アイコンタクトや手話でコミュニケーションをとります。また審判は笛以外に旗でプレーの停止を知らせます。ルールは通常のサッカーとほとんど変わりません。
◆話すことが怖くなった高校時代
しかし、サッカーの強豪校に進学した高校時代は、コミュニケーションの壁にぶつかることも少なくなかったといいます。
久住呂文華さん
「話しかけられた時に、言っていることが読み取れないことがたまにあって。内容を理解するために私は相手の顔をよく見るのですが、相手が嫌そうな顔をしていたら、『え、話したくないのかな』とか色々考えてしまう、遠慮してしまうことがありました」
相手の反応が気になったり、言葉が伝わっているか不安になったりして話すことが怖くなる時もあったといいます。
さらに、高校時代は新型コロナにも翻弄されました。
久住呂文華さん
「暑い中でもマスクをつけたままサッカーをやるというのが当たり前だったので、私にとっては口が見えないと話せないという状況になってちょっと孤立していました。私自身が『え?何?もう一回言って』という言葉があまり好きではなくて」
◆成長を見守った父
久住呂さんの成長を見守ってきたのが、デフサッカーの女子日本代表監督を務めた経験もある父親の幸一さんです。健常者の中でプレーするのはやはり難しいことなのか、きいてみました。
久住呂幸一さん
「プレーするのが難しいというよりも、聞こえる人に理解してもらうことが一番難しいかなと思います。お互い歩み寄るような努力が一番大事。最初は苦しいけれども、分かってもらえるようになれば楽になるので、最初のひとり、というのは大変ですが、今、頑張っていると思います」
◆今、三刀流で活躍中 デフサッカーがあるから全部頑張れる
久住呂さんは去年、ブラジルで開催された「デフリンピック」の日本代表に選出されました。さらに、デフフットサルの代表入りも果たし、健常者とプレーする大学でのサッカーも加えて「三刀流」で活躍しています。
久住呂文華さん
「自分にとってデフサッカーは、別の言い方をすると「帰る場所」かなと思っています。ほかで挫折したとしても、デフサッカーの存在があるからすべて頑張れる」
◆大学での出会い 「人と話すのが楽しい」
嬉しい出会いもあります。大学で1学年上の先輩である鎌田くるみさんは、女子サッカー部に久住呂さんが入部することを知った時、手話の勉強を始めました。
サッカー部の先輩 鎌田くるみさん(19)
「入ってきてくれたってことは、もう仲間なのでやっぱりコミュニケーションをとりたいですし、サッカーはコミュニケーションがないとやっていけないので、そこは自分が手話を覚えてみんなが言っていることを文華に伝えて懸け橋になれればいいかなと思って」
新たな出会いで、高校時代「話すことが怖かった」久住呂さんに、変化がおきています。
久住呂文華さん(18)
「大学に入ってから、人と話すのがすごく楽しくて、くるみと話すのも一番楽しいし」
◆将来は「懸け橋になりたい」
2年後には日本で開催されるデフリンピック。久住呂さんは代表入りをめざすともに、さらにその先の将来は、聴覚障害者と健常者をつなぐ仕事がしたいと考えています。
久住呂文華さん(18)
「聞こえない人と聞こえる人の懸け橋になるような存在になりたい。理想の姿です」