【ミニよのなか科】サッカー現象の背後にある「サッカー構造」についてお伝えします【タケハル】
オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」では、生徒であり先生である皆さんが「情報編集力」を上げ、「希少性」を高めています。本日のミニよのなか科は、タケハルさんの3回目です!
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【 サッカーってなに?③〜どこでもできるのはなぜ? 】
はいさい、ぐすーよー ちゅーうがなびら(こんにちは、皆さん。お元気ですか)
タケハルやいびん、ゆたさるぐとぅ うにげーさびら(タケハルです、どうぞよろしくお願いします)
皆さん、おはようございます。目覚まし朝礼の時間です
本日は、わたくし、タケハルが、ここ、沖縄から第3回目のミニよのなか科をお届けします。
今回は、文化ということについて考えながら、サッカーとは何かに迫ってみたいと思います。
前回ご紹介した、私の指導教官だった佐藤臣彦先生の著書、
『身体教育を哲学する』
でも「文化」について触れられているので、ご紹介します。今回も図を描きながら説明しますね。知的契機、感性的契機、身体的契機がひとの頭の中から外化され、ひとの前に立ち現れ、支配(疎外)していく事例を共有します。
ブラジルのサッカーもイングランドのサッカーもスペインのサッカーもまったく違うのに、なぜ、ワールドカップで試合が成立するのか。異なるサッカー現象の背後にある、単一のサッカー構造の存在についてお話しします。
本日のお題は、
「人間が生み出したのに、人間を支配しているもの」があれば回答してください。
その特徴が分かれば、ぜひ、教えていただければと思います。
それでは、本日も一緒に考えてくださり、いっぺーにふぇーでーびる(どうもありがとうございます)
これからも、ゆたさるぐとぅ うにげーさびら(どうぞよろしくお願いします)
キミにならできる!